ノイズの無駄の彼方

ムラタ@geonoize

なんとなくだけど。

ついに明日は卒論の発表で、まぁよくもまぁここまでこぎつけたと自分でも思う。周りにいてくれた多くの人のおかげだと際限なく感謝です。諦めなかったか諦められなかったのか、自分でもよくわからない。まさかこんなにいることになるとは入学の時には思いもしなかったのだけは確実だがww。よく、あっという間とかそんな表現をするけれど、やはり希薄な分だけ長いものだと思う。そう思う。そのかかった年月で何かをなした記憶もなければ、何かをなそうと続けられた記憶もない。運よく結果的に何かを得たと言うことがもしできたとしても、それを強く主張すればするほど自分の停滞を感じてしまう。その間にも妹は就職し、実家の犬は死に、同級生は結婚していったわけだけど、自分には結果としては何も積み上げられていない。いや積み上げていない。自信だけが途方もなく削り消えた大学生活だったように思う。
そんなことだから、ひどくぐだぐだになりながら今後(大学の後=就職)についてどうにでもなる的に考えた時期が少しはあって、それはバイト先のネットカフェとか見ていたからだけど、それでもいいと考えてた。でもそう考えているうちに、そういった就職先でずっと働いていることを考えているうちに、なんでもいいがどんどん拡がって生きることの意味を感じれなくなって放棄するんじゃないかと、思うに至ったよ。そんな気は絶対に否決するのだけれど、それは自分の中でたぶん結論として決めてるからで、そのはざまで生きるのはたぶん、つらい。その怖さを前に、今は無謀でもあえて夢を持つことにしました。そんな希望の必要性を感じてます。
希望はあるのではなく、持つものなのだと。そう感じました。
まぁたまにはそんなことを書いておくのもいいよね。